どうすればgrafitiを書くのですか
スピリチュアルヒーリング、魂の目的、リーディング、湘南グラフィティ
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特別論考「我如何にして王仁三郎と悟りし哉」
2012年1月18日 (1月20日加筆修正版)
1. 過去生を見分ける
誰が誰の生まれ変わりであるということは、所詮客観的に証明しきれるものではありません。しかしサイキックである私は、誰が誰の生まれ変わりであるか、特殊な知覚を通じて主観的にはわかる場合が多いのです。そうして把握したことが本当に正しいのかどうか、それを確かめたいといつも思っていました。
そんなある日、私は生まれ変わりを真剣に研究している学者の先生達の本を何冊か興味深く読んだのです。その本の中に、前世の記憶を持っていると結論するしかない外国のお子さんの事例がいくつも紹介されていたのです。
たとえば、前世 では何十キロ離れた何処何処の村で暮らしており、どんな家族がいたというようなことを幼児がいろいろ覚えていて、物心ついて来てから親にぽつぽつと話し出すわけです。驚いた親がその子を連れてその村を実際に訪れたところ、本当にそういう家族がいて、家族には数年前死んだ何某という人物がいて・・・。家の様子や家族構成などが何から何までその子の言うとおりだったとか、そういう事例が紹介されていたのです。そして、前世と今生の顔写真が載っていて、骨格や目つきがとても似ているのです。強いインパクトを受けました。
私の場合は過去生の記憶そのものがあるわけではないのですが、人のオーラを知覚するサイキックモードに入り、たとえばこの人の約500年前の過去生を視ようと思うと、ぼんやりと人の� �ルエットが目の裏に浮かんで来るのです。そしてその人が何かの仕事をしている姿や、住んでいた国の地図上の位置がメンタル・スクリーンに浮かんで来るのです。霊聴覚がうまく働いている時は、名前を聞き取れます。これは「私の過去生は何でしたでしょう?」というオープンクエスチョンであり、結構調べるのに時間もかかりますし、難しいのです。
これに対して、たとえば「私は坂本龍馬の生まれ変わりだと思う」と、具体的な人物名を挙げて主張している方がいたとします。それが本当であるかどうか調べるのは、イエス・ノーのクローズド・クエスチョンであり、調べるのは比較的簡単です。その人のオーラを知覚しながら同時に霊界の坂本龍馬を知覚するのです。もし本当に坂本龍馬の生まれ変わりなら、現在のそ� �人と龍馬の二つのオーラがズーンと重なるような、同一のハイ・ビーイング(本霊)から派生している場合の独特の感覚があるのです。
また、その人の魂の中のレコード上に「坂本龍馬」と意識しながら光を入れると、龍馬の生まれ変わりというのが本当なら、特定の過去生のレコードにエネルギーが充満して浮上するのです。
あるいは首の周りにある過去生の記録、「光の首輪」の中にも、「龍馬の過去生」を意識して記録を探します。ここには比較的大きく具体的に過去生のいろんなシーンがアーカイブされていますので、たとば、「あ、これは池田屋事件のシーンだ!」とか、人物の配置や動きや感情まで細かいことがいろいろわかります。ただし、シルエットで捉えられるだけですので、具体的な顔までは視えません 。しかし相当詳しいことまでわかってしまいます。
どのように実際の浮揚へ!他にも調べる方法がたくさんあるのですが、こうして前述の本に載っていた生まれ変わりと証明された二人の人物を私のサイキック感覚でも調べてみたところ、これはもうバッチリと両者が生まれ変わりの関係にあることがわかりました。逆に言うと、これによって私のサイキック感覚で「生まれ変わり」と判断されたケースが、学者の研究でも生まれ変わりと判明したわけで、私の感覚の正しさを確認することが出来てホッとしましたし、嬉しかったです。
ただ、サイキックな方法で過去生を調べる場合は、先入観があると間違えてしまいますし、怒りや欲望のある状態で調べるとすぐに間違えます。神々の正体を見分けるサニワをする場合もそうですが、エゴを浄� ��して魂を磨けば磨くほど正確さは増すのです。
2. 王仁三郎と分かって
私が出口王仁三郎の生まれ変わりと知ったのは約5年前でした。自分の過去生についてまず最初にわかったのは、ある預言者の過去生で、それを皮切りに次々と過去生が分かっていったのです。王仁三郎のことは昔書店でチラッと目にしたことがあった程度で、その本に載っていた写真の風貌も、烏帽子を被ったような写真で、なにやら気味の悪い感じがしましたし、「霊界物語」などの大量の書物を霊感を受けて書いたりと、とにかく不気味な印象がありました(笑) しかしある日、本当にふと、「王仁三郎って、まさか自分の過去生じゃないよな?」って、そう思ったのです。虫が知らせたような感じで・・・。私はそうでないことを祈 りつつ(笑)調べてみたのです。ところがそうだと分かってしまったのです!あの瞬間のショックといったら・・・。
あまりに驚いたので神様に何度も祈って伺いましたが、何度お聴きしても「あなたは王仁三郎でした」と聞こえて来ました。もちろん、先ほど述べた全ての方法でも確認しましたが、何度やっても答えは「王仁三郎」でした。
実はスピノザやスエーデンボルグも私の過去生ですが、それは青年時代の肖像画が今生の私と似ていますから、受け入れることができました。しかし王仁三郎は私と顔がそれほど似ていない感じもして、すぐ受け入れることができませんでした。しかし、王仁三郎が写真におさまる時のまなざしとか表情は今の私と似ている気がします。特に王仁三郎の「精乳館」時代の若い頃の風貌と� �とは、目つきや表情が似ているのです。過去生は肉体の血統が異なるのに、しばしば顔の骨格も似ています。
そういえば以前、妻があるインド人霊能者(サイババ様に指示されてヒマラヤ聖者の所で修行された信頼しうる方です。)の先生の所にセッションを受けに行って、「私の夫はどんな過去生だったのでしょう?」と伺ったところ、霊視して下さり、「ご主人は何かツボのようなものをたくさん作っていました。人々のためにとても良いことをしていました。資産もかなりありました。」とおっしゃったのです。私も当時はまだ過去生を判別できるほどサイキック感覚は開花していなかったため、「そっかー。ツボ職人だったかーオレ・・。」と単純にそう思っていたのです。
ときに、どのように、なぜ、デイル·チフリーか、しかし王仁三郎は「芸術は宗教の母なり」と言って、たくさんの茶碗を陶芸で作っており、スミソニアン博物館にも展示されているほどの腕前だったのです。そのシーンを視ていたのですね(笑)ツボ職人ではなかった。現在私はそのインド人霊能者の先生が私のどの過去生のどの辺の時期を霊視してそう言ったのか、そこまで見分けることができます。たしかに私の一つ前の過去生(正確には二つ前です。幼少期に親に殺されてしまった北朝鮮での過去生が直近にあるのです・・・。)をご覧になってそう教えて下さったことがわかります。
また、王仁三郎や日月神示を非常に詳しく研究されている中矢伸一先生のご著書(「出口王仁三郎 三千 世界大改造の真相」 KKベストセラーズ)を読んで、王仁三郎が有栖川宮熾仁親王の落胤(身分の高い人が正妻以外の女性との間にもうけた子)であったという説があることを知って驚いた私は、リーディングで綿密に検証したところ、それは本当なのであり、今生の私も有栖川宮と過去生での親子間のエネルギーコードで繋がっているのです!また、王仁三郎は日本画家の巨匠、円山応挙から7代目の子孫でもあるため、今生の私も、円山応挙とエネルギーコードで繋がっています。驚きました。
3. 大本を訪ねて
さて、王仁三郎の過去生が判明した後、王仁三郎の生家が保存されているというので訪ねてみたくなり、京都の亀岡(大本の天恩郷と王仁三郎の生家のある)へ家内と一緒に行って来たのです� �亀岡の駅に着いたはいいが、亀岡なんて全く初めての土地で、大本(地元では「おおもとはん」と言われているのですね)が一体どこだか分からないで、ファーストフード店で一休みしていたところ、かぐわしい白檀と薔薇の花のような香りがして来て、隣に背の低いおばあさんの霊がいたのです! 開祖・出口ナオさんの霊だとわかりました。ナオさんの霊が私達の前を歩いて先導して下さったので、ついて行ったら大本の天恩郷に着きました。これには感動しました。
大本の天恩郷を見学させていただいた時、『今生ではまだ僕は無名だから王仁三郎ですなんて言っても、お引き取り下さいと言われるだけ』と思い、現在の教主さんもお留守でしたから、ただ見学者としてそっと入らせていただいて来たのでした。でも『いつ� �世に出たら名乗って教主さんにお会いしたいものだ』と切ない気持ちで天恩郷を後にしたのです。生まれ変わってしまえば顔が違いますから、どんな犯罪者の過去生があってもいじめられませんし、どんな有名な過去生があっても誰も相手にしてくれません。ただ、生き方や周囲の人間関係には必ず現れます・・。
さて、天恩郷を出た後、歩いて穴太(あなお)の王仁三郎の生家付近へさしかかった時、あちこちの神社からすごい勢いで神様達が迎えに出て下さり ーというか、飛びついていらして(笑)、「オニー!!オニやないかー!よう帰ったー!」と、もみくちゃにされて驚いたのです。王仁三郎は産土の神様をすごく大事にしていて、神々から好かれていたことがこの歓迎振りからよくわかりました。神様達は地上の人が生 まれ変わっても、過去生で誰だったか一瞬で分かるのです。
私はインドのモデルや俳優に何をすべき 王仁三郎の生家や、庭や、井戸や、庭石や樹木は私のオーラと強く結び付いており、昔そこに住んでいたことはサイキック感覚で明白でした。今生で私が昔住んでいた家を訪れた場合も、それと同じ感覚があります。
藤沢気功ヒーリングには昔大本を立ち上げ、運営していたご縁の魂の方々(私の縁者の方々)がクライアントさんとしてこれまで数多く訪れています。また、世界史上の有名な人物であった過去生の方も大勢ここに集まっていますが、それは私の魂が神様の特別大事な任務のハブになっていることを示唆するものです。
4. 拙著「ハートの光は神の愛」は平成版「日月神示」
大本出身の岡本天明さんの自動書記による「日月神示」は、現代のことや「建て替え・立て直し」について予言した神の言葉であり、大本の出口ナオさんと王仁三郎が世に出した「大本神諭」や「伊都能売神諭」の続編であると言われています。ところが、拙著「ハートの光は神の愛ー読むと魂がとても大きくなる本―」と「日月神示」とは全く同じような事が多々書いてあり、この二冊を重ねると、それぞれの本のエネルギーが完全に融合して一体化してしまうのです!両者が同じ神様の意識で出来ていることを示しています。しかし私は「ハートの光は神の愛」を書いた後初めて「日月神示」を読んだのです。去年の秋頃ある霊能者の方が訪ねていらして、「日月神示� ��にあなたのことが書いてあるから読んで下さいと強くお勧めいただいて初めて読んだのでした。
読んでビックリ、腰を抜かさんばかりでした。随所に拙著と同じような事が書いてあったのです。「ハートの光は神の愛」は、思い切り読みやすくした平成版「日月神示」なのだとわかりました。あるクライアントの方がおっしゃっていたのですが、もし「ハートの光は神の愛」を読んでいなかったら「日月神示」は難しくてとても読めなかったでしょう、と・・・。特に、「日月神示」にある「身魂磨けよ」というのは、具体的にはどうすればいいのか・・・?それが「ハートの光は神の愛」には図入りでわかりやすく書いてあります。拙著は図らずも今の若い世代が神示の神髄を理解するためのやさしいガイド本になっているのです 。これを神のみわざと言わずして何でしょう。
ただし拙著には、「建て替え・立て直し」については敢えて書きませんでした。時空間シフト(アセンション)について書くと、トンデモ本と片付けられる懸念があり、悩んだ末に一度書いたその部分を外したのです。しかし、今書いている続編には入れる予定です。
このように、拙著は、近い将来時空間シフト(アセンション)が来た時、波動の高い新しい地球へ多くの方が移行することができるよう、人々の魂を大きくする本を書きなさいと根源的な神様に言われて書いた本ですから、「日月神示」と出生の由来・目的が同じなのです。
5.「日月神示」が予言した藤沢気功ヒーリング
奇しくも昭和前期に書かれた「日月神示」には、随所に現在の私� ��藤沢気功ヒーリングが暗号的に出て来ます。(この本は8通りに読めるといいますから、他の意味もありましょうけれど。)
●「富士、見晴台ぞ」→東日本大震災を3年以上前に予言し、一日違いで的中させた藤沢気功ヒーリングのリーディングの使命のこと(当院の建物からは見事な富士山も見えます。この藤沢へ移転して来たのも、神様に「8月28日に藤沢」へ移るようにと言われて、その日に東京から移転したのです。天から富士山頂に降りて来た神のエネルギーは地中で二つに分かれ、一方は伊勢神宮へ、もう一方は藤沢市の特に「大庭」に辿り付いているのが霊視で視えますから、ここ藤沢市はエネ的にも富士です。「大庭の富士を探してみよ」とあるのはそのことです。また、神様ご自身が「藤沢気功ヒーリング」という地名を入れた屋号にするようお決めになったのですが、これも「日月神示」� �予言の成就のためだったと今にしてわかります。)
●「ひむかのお役は、人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、」→ヒーラーとしての私の使命のこと。
●「富士とは神の山ぞ」→「藤沢気功ヒーリングの神岡」を指してもいます。この名は私が日月神示を読むずっと前に神様からいただいた著者名です。
●「秋が立ちたち、この道開く方出て来るから、それまでは神の仕組み書かせておくから」というのは、私が全く無名のまま「ハートの光・・」をコツコツ書いて来た経緯を指しています。
●「六月二十八日は因縁の日ざ」→私の誕生日。この日付けにはあと2つ大事な意味があるのですが、その一つは、昔王仁三郎が言い当てて有名になった第一次世界大戦勃発の日(サラエボ事件の日� ��で、私は自分の誕生日を因縁の日だなと昔から思って来ましたから、ここを読んだ時その思いを言い当てられて唖然としました。(この日付けのもう一つの意味は現時点では言わない方が良いでしょう。非常に重要な日なのです。)
●「五十九の身魂は神が守っているから(中略)・・・この身魂はいずれも落ちぶれているから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。」→当院にいらしているそうそうたる魂の方々のことです。決しておちぶれてなんかいませんけれど、世界史に出て来るような有名な魂も、皆さん今生ではごく普通の会社員や公務員や主婦や学生です。ただ、サイキックの方が多いですが・・・。
●「家の中に富� �の形作りて」→テレビで有名な、発明家のクライアントさんが私に手製のピラミッドをいくつもプレゼントして下さったものを指します。それが放つ神様のパワーがすごいので、院内で瞑想をご指導する際に以前から使っています。
●「猫に気付けよ、犬来るぞ」(日月の巻 第十帖)→ 全く神岡家にしか分からない暗号。我が家に白猫(オス)と三毛猫(メス)がやって来る直前、私は人間のように何でも分かる不思議な白猫の夢を神様に見せられました。現れ方も神がかりです。実はこの白猫、家内が英国詩人ワーズワースの妹ドロシー・ワーズワースだった過去生で可愛がっていたペッパーという名の雄犬の生まれ変わりです。猫でありながら犬の習性を持っており(おもちゃを投げると何度でも嬉し� �うにくわえて持って来る、番犬のようにメス猫を守ろうとする、肩と腕が筋肉りゅうりゅうで犬のよう、など)、魂はまるで犬です。「犬だった魂を持つご縁のある猫を与えるから気が付いてくれよ」という意味なのです。
「日月神示」には「束ねの人は後からじゃ、後から出るぞ。」とありますが、そろそろ出頭しなければならない時期になって来たようです。私の本がこれからどう展開するのかわかりませんが、とにかく神様という舞台監督に言われた事を言われた時にこなせば、私の知らない所で頑張っている別の役者さん達の動きと連動し、物語は未来へ繋がって行くものだと信じています。
※今後は新約聖書のヨハネの黙示録も大事です。日月神示と大筋似ていますが、ヨハネの黙示録も私の過去生が書いたもので、日月神示と同じ神から同じ魂を通じて、もっと昔に出されたメッセージです。ヨハネの黙示録もこれからもうすぐ起こる事を高次霊界レベルで見せられて書いたものです。高次霊 界レベルの描写なので、地上の世界から見ると荒唐無稽に思えますが、高次霊界で起きる事は、形を変えて地上に降りて来ます。
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