2012年5月10日木曜日

Traviata2



「オペラの歓び」月例会(第100回) 2012年4月14日  午後4時から

LA TRAVIATA≪椿姫≫

原作:アレクサンドル・デュマ・フィス著「椿姫」(1848)
台本:フランチェスコ・マリーア・ピアーヴェ
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ 1853年
初演:1853年3月6日、フェニーチェ劇場(ヴェネツィア)
演奏時間:第一幕 30分、第二幕 64分、第三幕 43分
時・場所:1850年頃。パリとその近郊

ヴィオレッタ・ヴァレリー(パリの高級娼婦)・・・・・・・・・・アンナ・ネトレプコ
アルフレード・ジェルモン(地方出の若い紳士)・・・・・・・ロランド・ビリャソン
ジョルジョ・ジェルモン(アルフレードの父親)・・・・・・・・・トマス・ハンプソン
フローラ・ペルヴォア(ヴィオレッタの友人)・・・・・・・・・・ヘレン・シュナイダーマン
アンニーナ(ヴィオレッタの女中)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ダイアン・ピルチャー
ドゥフォール男爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・� ��・・・ポール・ゲー
ガストン子爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サルヴァトーレ・コルデルラ
ドビニー侯爵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヘルマン・ヴァレーン
医師グランヴィール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ルイージ・ローニ

指揮:カルロ・リッツィ、演出:ウイリー・デッカー、美術:ウォルフガング・グスマン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ザルツブルグ音楽祭・2005年8月7日

解説
これまで女心など全く解っていなかったヴェルディが、ジュゼッピーナとの恋で女心が解ってきた時に
パリで「椿姫」の芝居を観て、心の底から盛り上がる感情を一気にぶつけた曲。一本の旋律の中に、
これほどの感情がこもるとは信じられない。

前奏曲
第二幕でヴィオレッタがアルフレードに別れを告げる時の旋律による曲で、病床のヴィオレッタを
暗示する第三幕への前奏曲と共に独立しても演奏される名曲。

第一幕 パリ・ヴィオレッタのサロン
男爵、子爵といった大金持の面々が遊びに来てパーティはいまやたけなわ。愛想を振りまいている
ヴィオレッタに、南仏の富豪の息子アルフレードが紹介される。遊びの世界を知らない純情な
この青年にふとヴィオレッタの目がとまる。
皆はアルフレードに酒と歌をすすめ、アルフレードは歌う、<乾杯の歌 Libiamo>。ヴィオレッタも
彼に続いて歌い、一同もそれに和して酒と歌と悦楽を謳歌する。
人々はサロンから大広間ヘダンスに行き始める。その時ヴィオレッタは突然めまいを起こし倒れかかる。
心配する客人を先に行かせ、一人鏡の前で自分の青い顔を直しているところヘアルフレードが現われ、
心からの愛を訴える、二重唱<ここにいらっしゃったの Voi qui!>。ヴィオレッタは初めは笑って彼の言葉を
まともにとろうとはせず、軽く受け流す。しかし彼のあまりの純情さに心打たれ、胸につけた椿の花を渡し、
明日の再会を約束する。夜もふけて客人も帰っていく。がらんとしたサロンに残った彼女は不思議な心の
とめきを感じる、アリア<ああ、そはかの人か Ah fors'e lui che l'anim>。彼女は真実の愛にふれた喜びに
ひたるが、娼婦なる我が身を振り返り自嘲して歌う、<花から花へ Sempre libera>
その時遠くからアルフレードの愛の歌が聞こえてくる。彼女はその声に引かれながらも、狂おしく彼の愛を
忘れようとする。


ベートーヴェンの両親の職業は何だったの

第二幕
〔第一場〕パリ郊外の別荘のテラス

アルフレードの愛に打たれたヴィオレッタはパリの生活から足を洗って二人でこの家に住んでいる。
アルフレードは愛の生活の喜びを歌う、アリア<燃える心を De'miei bollenti spiriti>
しかし現実は厳しく、生活のためにヴィオレッタは持物をパリで処分しなければならなかった。
それを知ったアルフレードは金策のためにパリヘ行く。ヴィオレッタのところにアルフレードの父親
ジェルモンが訪ねてくる、二重唱<ヴアレリー嬢ですね? そうですわ Madamigella Valery ? Son io>
彼は息子がヴィオレッタに誘惑され、財産も貢ごうとしていると誤解している。しかし次第にヴィオレッタの
心根も解り、帳簿なども見せられて、息子がかえってヴィオレッタに金銭的にも迷惑をかけている事を知る。
ジェルモンは息子に対する彼女の深い愛に感動するが、娘の結婚にさしつかえるからと息子と別れて
くれと頼む。泣く泣くヴィオレッタはそれを承知し、一人の女が自分の幸せを犠牲にした事をお嬢さんに
伝えて下さいという。ジェルモンは彼女を慰め、励まして帰って行く。
ヴィオレッタは別れの手紙を書き、戻って来たアルフレードに彼の父の来宅を知らせる。そして悲しみを
こらえて彼を一度抱きしめて外に行き、使いの者に手紙を持たせる。アルフレードが解せぬ面持で封を切ると、それは離縁状であつた。彼は驚き怒る。そこにジェルモンが戻って来て悲しむ息子を慰める、
アリア<プロヴァンスの海と陸 Di Provenza il mar,il suol>。しかしアルフレードは復讐をするのだと叫び、
立ち去る。

〔第二場〕パリ。フローラのサロン
パーティが華やかに催されている。アルフレードがやって来てカルタを始める。ヴィオレッタはドウフォール
男爵と一繕に入って来る。アルフレードはドゥフォール男爵にカルタを申し入れ、勝ちまくる。
人々が舞踏会場へ移っていった時、アルフレードはヴィオレッタを掴まえて本当に心変りしたのかと問い
詰める。彼女はジュルモンとの約束のため、しかたなしに「そう」と答える。怒った彼は人々を呼び集め、
大声で彼女を罵ったうえ、賭で勝った金をたたきつける。ヴィオレッタはあまりの事に気を失い、人々は
驚き彼の無礼を責める。そこにジェルモンが現われ息子を叱りつける。もう� ��り返しがつかないと後悔する
アルフレード、こうまでされても彼を思うヴィオレッタ、思い思いの心を吐露する大コンチェルタートで幕となる。

第三幕 パリ下町のヴィオレッタの家
ヴィオレッタは胸の病に倒れ、持ち物も売り尽し死を待つ身となっていた。彼女はジェルモンからの手紙を
取り出して読み始める。そこにはアルフレードが総てを知り、謝罪にやって来るだろうと書かれてあった。
ヴィオレッタはもう遅いわと嘆き、楽しかった昔を想い歌う、アリア<さらば過ぎし日よ Addio del passsto>
この時アルフレードが彼女の家を探し当ててやって来る。彼はヴィオレッタに許しを乞い、彼女をやさしく抱き、
もう一度田舎での生活を始めようと言う、二重唱<パリを離れて parigi,o cara>。父ジエルモンも駆けつけ、
二人の仲を許すが時既に遅く、ヴィオレッタは愛する人の胸に抱かれてこの世を去って行く。

椿姫の聴きどころ
第一幕

 ☆乾杯の歌(アルフレード、ヴィオレッタ)
 ☆二重唱・あなたに会った時から(アルフレード、ヴィオレッタ)
 ☆ああ、そはかの人か〜花から花へ(ヴィオレッタ)
  ベルカント・オペラの伝統を受け継ぐカヴァティーナ・カバレッタ形式のアリアの傑作、後半華やかな
  コロラトゥーラを駆使し、最後は楽譜にはない三点変ホ音で締めくくるのが慣例化している。

第二幕 第一場
 ☆燃える心を(アルフレード)
 ☆二重唱(ジェルモン、ヴィオレッタ)
  ヴアレリー嬢ですね? そうですわ
 ☆アルフレード、私を愛して(ヴィオレッタ)
  オーケストラの真価が問われるこの幕のクライマックス。
 ☆プロヴァンスの海と陸(ジェルモン)
  バリトンのオペラアリアの名曲。

第二幕 第二場
 ☆ジプシーの合唱
 ☆闘牛士の合唱


リバーフォールズの映画館

第三幕
 ☆さらば過ぎし日よ(ヴィオレッタ)
 ☆パリを離れて(ヴィオレッタ、アルフレード)

この作品のヒロインには三つの声が必要だと言われる。
すなわち第一幕では華やかなコロラトゥーラ・ソプラノ、
第二幕では劇的なドラマティック・ソプラノ(ないしはリリコ・スビント)、
第三幕では叙情的なリリック・ソプラノというものである。
つまりヴィオレッタの役は、音楽が完壁なため誰が歌っても一応の感銘を与えそうだが、これらの
異なった声をー人で駆使しなければならない難役なのである(かってレナータ・テバルディも若い頃
この役を歌ったが、第二幕以降は見事なのに第一幕の軽快なコロラトゥーラ� ��高い音に苦労し、
「花から花へ」はキーを下げて歌った)。
それだけではない。これはかなりデリケートな心理劇なので、ヒロインに言葉に関する鋭いセンス、
劇的な表現力が併せ求められる。そしてこの作品はまたプリマドンナ・オペラであり、華のある歌唱
スケールの大きな歌手が望ましい。戦後の最高のヴィオレッタはマリア・カラスである。
(本間 公著「思いっきりオペラ」宝島社より抜粋)

 

椿姫よもやま話
作曲者のヴェルディ(イタリア)は1813(文化10)年生まれで1901(明治34)年の没。
原作者であるフランスの小説家アレクサンドル・デュマ・フィスは1824(文政7)年生まれ1895(明治28)年没。
ちなみにヴィオレッタのモデルである高級娼婦マリー・デュプレシス(本名アルフォンシーヌ・プレシス)は
1824(文政7)年生まれ、1847(弘化4)年没。さらに原作者デュマが小説「椿姫」を発表したのが1848(嘉永1)年。
原作者本人が戯曲化して舞台初演は1852(嘉永5)年。そしてヴェルディ作曲のオペラ初演は1853(嘉永6)年
3月6日。これを見ればパリの街がこの時代、いかに椿姫で盛り上がっていたかわかる。
なお、オペラ「椿姫」初演の1853年といえばアメリカ使節のペリーが浦賀に来航した年にあたる。


元気とリスボン滝、メイン

高級娼婦マリー・デュプレシスの一生
マリーは1824(文政7)年、フランスの小さな漁村で貧しい鋳掛屋(はんだ等で金物の修理を行う)の次女として
生まれた。両親はマリーがまだ小さい頃に離婚、母に連れられてパリに出てきたものの、母が病死したため、
今度は父のもとに引き取られた。マリーが14歳になったとき、父は近所に住む70歳の独身男にマリーを売り
渡してしまった。子供を売り渡してしまうなんて現代の日本ではとても信じられないことだが、当時のフランス
にはこうでもしなければ生きてゆけない貧乏な人が多くいた。
マリーはしばらくして、そこから逃げ出し、住み込みの女中をしたり、傘工場の女工をしていたが貧困からは
脱却できなかった。そのため、パリに出てお針子として働き始めるのが、とても給料だけでは生活していけず、
金持ちに援助してもらうことになった。マリーが他のお針子と比較して群を抜いて美しかったこと、これが高級
娼婦となれた理由。つきあう相手がどんどん高くなり、18歳のときにはぜいたくな暮らしができる身分になった。
第1幕ではヴィオレッタが主催するパーティー会場が舞台になっているが、当時の高級娼婦はこれくらい大きな
力・金をもっていた。
このようにマリーはまともな教育を受けていなかったのだが、もともと才能があり、相手の身分があがるにつれて、
マリーの教養も高くなっていった。それでなければいくら美人とはいえ、すぐに飽きられてしまう。原作者デュマと
知り合った のは20歳のとき。しかしデュマにはマリーのぜいたくな暮らしを支えることができなかったし、マリーも
いやというほど貧乏のつらさを知っていたので、今のぜいたくな暮らしを捨てることはできなかった。またマリーは
自分が結核にかかっていて、命が長くないことも知っていた。デュマとマリーがつきあったのはわずか2ヶ月。
デュマは傷心を癒すために旅に出てしまう。一方、マリーはある伯爵と結婚したものの、伯爵が破産して逃げて
しまったため、一人残されてしまった。結局、誰にも看取られることなくマリーは1847(弘化4)年にひとり寂しく
亡くなってしまった。
なお、オペラ「椿姫」を見るにあたって忘れてはいけないことは、主人公のヴィオレッタが高級娼婦であったこと。
上流階級の人しか相� ��にしないとはいえ娼婦にはかわりなく、世間の偏見にもあうし、何よりも本人でさえ当初は
「まともな恋愛なんかできない」とあきらめていたという境遇を理解しなければいけない。

結核の恐怖
この時代、結核は不治の病として恐れられていた。原因も治療法もまだわからず、結核になったら少しでも死ぬのが
先に延びるよう、暖かいところに引っ越して栄養をとるくらいしか方法はなかった。
結核が伝染病とわかったのは1865年。そして結核菌が発見されたのが1882年。このオペラの初演が1853年ですから、
ヴィオレッタの回りにいた人たちは、結核が空気感染するとは夢にも思っていない時代です。結核の歴史も知らないと
オペラ「椿姫」は理解しにくいものになってしまう。


デュマ・フィスの原作『椿姫』について
アレクサンドル・デュマ・フィス(1824-1895)は、「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」で知られる同じ名の父(1803-1870)と、
ベルギー生まれの一女性との間にできた私生児で、 一般に父親と区別するために、父親をデュマ・ペール、『椿姫』 を
書いた子の方をデュマ・フィスと呼んでいる。
この原作が書かれた経緯については、アメリカの作家ガイ・エントアが『パリの王様』の中で述べているが、この劇の
主人公アルフレードこそ、デュマ・フィス自身をモデルとした自叙伝に近いものであるという。
デュマ・フィスはある時、パリの取引所のあたりを歩いていたが、ふと衣装店に人って行く美しい女性に心を惹かれた。
純情な彼が純潔な女とばかり信じた彼女は、実はマリー・デュプレシスといって、七人もの百万長者をパトロンとしている
女であった。彼女は月のうち25日間は白い椿の花を持ち、あと5日間は紅の椿をもって、夜ごと、劇場の桟敷に姿を
見せていた。そういうわけで彼女の行きつけの花屋のおかみさんは、彼女を「椿姫」と呼� �でいたという。
ある時、父親とともに芝居見物に行ったデュマ・フィスは、父からその女を操っているクレマンス・プラという女を教えられ、
その手を通して、その夜マリーの家を訪ねる。マリーは多くの男たちに取り囲まれ、紫檀で作ったプレイエルのピアノを
弾きながら、猥雑な歌を歌っていた。たまりかねたデュマ・フィスが忠告すると、マリーは結核のため血を吐きながらも
「私はお金がほしいの、年に10万フランはなくては」という。しかし純情な彼に惹かれたマリーは、椿の花の色が変わったら
会おうという。このようにして逢う瀬を重ねているうちに、二人は馬車に乗ってパリを駆けめぐる身になってしまう。
それを見かねた父デュマは、彼を連れてスペインに旅をする。旅から帰ったデュマ・フイス� ��耳には、彼女は彼の留守中、
ペレゴー伯爵の囲われ者となっていたが、デュマ・フィスの名を呼びなから息を引きとったという話が伝わってきた。
デュマ・フィスは、マリーの全財産が競売に付されるということを聞き、涙を流しながら感動の赴くままにペンを走らせ、
美しい小説『椿姫』を書き綴った。この作品により、弱冠24歳の彼の名はたちまちパリ中に知られるようになり、さらに
彼は1849年、この小説を5幕物の戯曲として書きあげたが、その上演はなかなか許可されず、やっと1852年になって
初演されたのである。なお戯曲の方では、旅行の留守中に死去するのでなく、恋人アルマンの腕の中で息絶える。
このマリーは本名をローズ・アルフォンシーヌ.プレシスと呼び、その墓はパリのモンマルトル墓地� ��ある。


妻ジュゼッピーナ」(「物語 イタリアの歴史」より 藤沢道郎著:中公新書)
1849年のオペラ・シーズンにヴェルディは、ミラノを盟主とするロンバルディーア自治都市連盟が赤髭皇帝フリードリヒを
打ち負かしたあの七百年前の戦闘を題材とした≪レニャーノの戦≫を上演して、大いに闘争を鼓舞したが、戦況日々に
不利となり、いったん郷里のブッセートに引き揚げた。ヴェルディは相変わらず野暮ったいなりで、気むずかしい性格も
そのままだったが、今は歌劇の帝王であり、名声も富もがっちり手に入れて、いわば故郷へ錦を飾るはずの帰還だった。
ところが郷里の人々は今度も彼を白い眼で見た。彼が一人の美しい女性を同伴していたからである。大きな黒い瞳に
雪のような白い肌、年の頃三十そこそこの清楚な美人だが、どこか寂しげな翳りを感じさせるこの女性はジュゼッピー� �・
ストレッポーニ、≪ナブッコ≫のブリマドンナをつとめたソプラノ歌手である。あの公演の後、二人は離れがたい間柄に
なっていたのだ。


彼女には隠れた悲しい過去があった。若い頃にある男と深い仲になり、二人まで子をなしながら、男は他の女性と結婚し、
彼女とその子を捨ててしまったのである。ジュゼッピーナは心の傷を隠して舞台に立ち、二人の子と肺病の妹と老いた
母を養ってきたのだ。相手の名前は固く秘め、手紙の中でもMというイニシャルしか書いていないので、多くの伝記作者は、
このMから相手を劇場支配人のメレッリだと推定していたが、実はモリアーニというまったく別の男性だということを、
英国の研究者ウォーカーが明らかにしている。≪ナブッコ)はヴェルディにとっては栄光の扉だったが、ジュゼッピーナに
とっては最後の晴れ舞台だった。重なる心身の疲労で声が出なくな り、病にも冒されて、あれからまもなく引退し、個人
教授をしてー家の生計を立てていたのである。彼女は美貌にも才智にも充分恵まれていたが、驕ったところのない控え目
な女性で、気配りもよく、舞台でも共演者を立てるようにし、自分が脇役に回っても不平を漏らすことがなかった。それに
何よりも、ヴェルディにとっては彼女は大恩人であり、また自分の才能と性質を最もよく理解してくれる女性である。
逆境の中に彼女を放置しておくことはできなかった。

しかし、ヴェルディ自身にも二人の私生児を生んだ女性を妻にする決心がなかなかつかなかったし、ブッセートの人々は
ヴェルディが女優を連れて帰ってきたことをスキャンダル視した。舅のバレッツィも最初は露骨に嫌な顔をしたが、彼女の
人 柄が分かるにつれて心の氷が解け、その人間としての魅力に打たれて、ついには「私の娘が生き返ったような気がする」
とまで言うようになった。結婚をためらうヴェルディに決心させたのも、バレッツィだった。妻となったジュゼッピーナは夫に
よく尽くしたから、ヴエルディは幸福だった。相変わらず山と降る仕事に忙殺されていたが、手紙はみな妻が代筆して
くれた。ヴエルディは文章が苦手だったから本当に助かった。現在残るヴエルディの書簡集は五巻の大冊になっているが、
その内容の大部分は実はジュゼッピーナが書いたものなのである。「オペラを書く仕事はもう止めて、田舎で二人でキャベツ
作りでもしたいと思う」と彼はよく妻に言った。

しかし、ヴェルディの代表作といわれる≪リゴレット� �≪トロヴァトーレ)≪椿姫)は、この時期に書き上げられた作品で
ある。特に≪椿姫)は作者の進境を示すものであった。愛国的で豪壮で男性的な歴史物を得意とするヴェルディが
同時代のパリの遊女の悲恋物語を主題とするオペラに手を染めるのは冒険であるが、彼は見事にそのテーマをこなし
切った。アレクサンドル・デュマ・フィスの原作だが、ここには二度目の結婚の経緯が投影している。
ヴィオレッタにジュゼッピーナ、アルフレードにヴエルディ自身、ジェルモンにバレッツィの面影を重ねても、あながち
見当違いとは言えぬだろう。この作品が最初に舞台にかけられた時、聴衆は拒否反応を示し、客席は非難の口笛で騒然
とした。ヴェルディの曲というので期待したイメージとまったく違うものを与え られたからだ。だがそれも初日だけだった。
日を重ねるにつれて拍手が大きく、口笛は聞こえなくなり、ヒロインの悲恋に同情する女性客のすすり泣きだけが聞こえた。
ヴェルディは音楽家として脂の乗り切った時期を迎えたのである。

HOME



These are our most popular posts:

Di Provenza il mar……プロヴァンスの海と陸

ヴェルディ作曲:オペラ「椿姫」より:ジェルモンのアリア~G.Verdi:Opera"La Traviata": Aria di Germont~ ... プロヴァンスの海と陸を誰がお前の心から消したんだ? 故郷の 素晴らしい大地からどんな運命がお前を奪ったのか? ああ、たとえ苦しい時でも ... read more

爆笑コメディ・オペラ・ユニット オペラ三昧|イープラスチケット情報 ...

爆笑コメディ・オペラ・ユニット オペラ三昧(バクショウコメディオペラユニットオペラザン マイ)」のチケット購入はイープラスをご利用ください!「爆笑コメディ・ ... 一体誰がこんな 脚本を考えるのか。そのバカバカしくも ... ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」より 乾杯の歌 G. read more

オペラ「椿姫」

そして、この戯曲を見たヴェルディがオペラ「LA TRAVIATA(道を踏み外した女)・・・椿姫 」を作曲することになる。 .... 有名なジェルモンのアリア「プロヴァンスの海と陸」を「あの 美しいプロヴァンスの海、そして土を、一体誰が忘れたのか、さあ、美しい故郷で平和に ... read more

∥ 過去のコンクール受賞者 ∥ 飯塚新人音楽コンクールウェブサイト 主管 ...

... 作曲, "わが胸の想いのすべて". ヴェルディ作曲, オペラ「椿姫」より"ああ、そは彼の人 か~花から花へ" ... チマーラ作曲 ベッリーニ作曲, マッジョラータ (五月の花祭の歌) オペラ 「清教徒」より "あなたの優しい声が" ... 誰が言えましょうか" "僕はあなたに自分 の ... read more

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿