最新映画の感想38
●動物愛護グループの数人の愚かな行動のために、人類は滅亡の危機に陥る。伝染性の恐ろしい病原菌をもったチンパンジーを研究所の檻から解放した時にそれは始まった。その28日後、一人の青年が病院のベッドで目覚める。部屋から出ても誰も居ない。町に出ても誰も居ない。ロンドンの町は人っ子一人居ない。電気も切れている。略奪の痕が散見され、町は廃墟となっている。やがて、彼は感染者の群れに襲われたところを二人の非感染者に助けられる。彼らはともに行動したが、彼らにも悲劇は容赦なく遅い、最終的には青年と女二人となってしまう。
感染は血を媒介し、感染後数十秒で発症し、症状は凶暴で感染者を噛み殺すというものだった。よくある吸血鬼やゾンビものと設定は似て いる。
しかし、この映画はそんな娯楽アクションとは一線を画している。おぞましき極限状態の中で人はどう生きるべきか、どう行動すべきか、何に希望を託すかを自らにも問いかけながら観客はこの戦慄の世界に身を置くことになる。
●やっと軍隊の小部隊に救出されるが、そこは非感染者の集団ではあったが、既に正気の世界でもなかった。
●最近観たばかりの「ドラゴンヘッド」も似たような状況下の人間を描いているが、本作は格段に深い。リアリティがある。怖い。共感できる。
●最後に希望を覗かせたのが救いだ(ふと「アレックス」を思い出した。)。
★★★★★
プレミア誌⇒2.88
キネマ旬報⇒なし
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●ブライアン・デ・パルマ監督の面目躍如。すばらしい。
映画は文字どおりに映像こそがその表現方法の命である。彼は、まさにそこに全身全霊をかけて命を吹き込む。スローモーション、画面分割、画面に登場する写真や、映画の1コマ、ポスターの写真など1カットたりとも凡庸な撮り方はするまい、と誓っているような気迫があらゆるシーンに漲っている。それを見ているだけでも楽しいのに、今回のドラマはなんと彼の映像にも劣らぬコテコテの凝りに凝ったものだった。
坂本龍一の手になるボレロ風の音楽があのリズムで小気味良く鳴り響く中、カンヌ映画祭会場でモデルが身に付けたダイヤを3人組が襲う。この冒頭シーンにもうわくわくさせられてしまう。
さて、犯罪� �方だが、ダイヤは何とか手に入れたものの、脱出寸前に女が裏切りダイヤを持って逃走する。その彼女(レベッカ・ローミン=ステイモス。でかい!美形!)、そっくりさんの家族と間違えられ、そのまま成りすまし、やがて、アメリカ行きの飛行機の中で知り合った男と結婚し、7年後(この「7年」というのも曲者だ。)、駐英アメリカ大使夫人となって裏切った昔の仲間がいるパリに戻る。顔を知られてはならない。しかし、パパラッチ(アントニオ・バンデラス)が彼女の写真を盗撮し雑誌に掲載されたことから事件が始まる。果たして・・・・。
●複雑な構造を持ったドラマの完結は、単に夢物語では終わらせないどんでん返しによって爽快に成される。
●凝った映像と凝った構成。サスペンスの連続、予測不可能な展� �。掟破りのどんでん返し。イヤー、まいりましたね。少々の難点は吹き飛びますよ。デ・パルマの中では最高傑作ではないだろうか。
★★★★★
プレミア誌⇒2.50
キネマ旬報⇒2.50
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●良かったのは出だしだけ。後はひどい。どうしてかくも低劣な映画を作るんだろう。リアリティの欠如。思想性の欠如。人間性の欠如。小児的なギャグ。かと思えば、情緒過多の浪花節。
これが邦画実写部門の興行記録を更新中というから恐ろしい。若者たちはかくも他愛なく、軟弱で、批判精神が乏しく、画一的なのか。深刻な事態である。
★
プレミア誌⇒2.00
キネマ旬報⇒2.50
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●ある日突然、天災が日本を襲う。どうやら列島全体が瓦礫の山に埋もれてしまったようだ。その中で、わずかに生き残った人たちが何を考え、どのような行動をとるか。これはとても興味深いことだ。「バトルロワイアル」のように、一種の極限状況に置かれた究極の選択を描くのだから、面白くなる要素は設定そのものにあった。
しかし、面白くない。主人公は高校生男女二人だが、どちらも情けない人間で生きる力に欠けている。そんな人間に魅力があるはずがなく、そんな主人公を設定したのではドラマは面白くなるはずがない。
●彼らだけではない。他の生存者たちも魅力的な人物は1人も出てこないのだ。魅力はさておくとしても、その言動に共感を覚えることがない。水も食料� ��不自由な、電気もガスもない世界で、人はどんな行動に出るだろう。それが描かれていない。少なくともリアリティが欠如している。
●外国で広大なセットを構築して撮影したというが、いかにもセットという安っぽい出来で、下手なマットペイントが興ざめだ。CGも使っているのだろうが、紙芝居の如しでいけません。
ま、こういう、映画にしにくい題材に挑戦して商業ベースに乗せようという心意気は買うか。
★★
プレミア誌⇒2.25
キネマ旬報⇒1.75
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ダフネ·デュ·モーリアはどのように死ぬのですか?●映画の冒頭、街角のバス停でこれ以上惨めな格好はないというひどい姿で4人の男が悄然と立ち尽くしている。
その顔ぶれをみただけで、この映画が傑作だということを確信できた。
サム・ロックウェル(主要な出演者の過去の出演作品は下欄)、ウィリアム・H・メイシー、イザイア・ワシントン、マイケル・ジェッターである。いずれも個性的で、魅力的な役者だ。新進気鋭の監督ルッソ兄弟はのっけから観客の期待を画面に惹き付けてしまった。
ほかにもルイス・ガスマン(この顔は一度見たら忘れられない。)、パトリシア・クラークソンなど、名前と顔はなかなか一致しないが、存在感溢れる名脇役が揃っている。そういえば、出演者の中で、ゲスト出演的なジョージ・クルーニー(ソ ダーバーグとともに本編の製作にも当たっている。)以外にはスターというべき役者は不在で、せいぜいサム・ロックウェルが主役をはれるくらいのものだ(本作でも彼がおおむね主役っぽい)。
●すばらしい役者に恵まれてすばらしい脚本ができてすばらしく楽しい映画が出来上がった。
●とことん金に困っている連中6人が、巡り合わせで仲間となり、古ビルの宝石店の金庫を襲うことになった。ところが、みんな欲に駆られた素人である。ジョージ・クルーニー扮する金庫破りの師匠からテクニックは教わったものの、次から次へと彼らを不幸が襲い、なかなかうまくことが運ばない。彼らが一生懸命なだけにそれがおかしくてたまらない。
果たして、うまくいくのか、いかないのか。もちろん、観客には結果は想像できてい� ��。冒頭のシーンが犯行後の姿だからだ。しかし、なんとか成就させてやりたいという気になるのだから愉快だ。
ウィリアム・H・メイシーが赤ん坊を抱えて偽のギプスを腕に嵌めカメラを盗むシーンやマイケル・ジェッターのパンツがずり落ちるシーンなど思い出しても笑える。
そしておかしいだけではない。彼らの間に徐々に友情が芽生えてくるのがうれしい。大笑いした後はさわやかな幕切れであった。
●ほぼ同じスタッフによる「コンフェッション」に比べ格段に上等の出来栄えであった。
◎サム・ロックウェル⇒「コンフェッション」、「グリーンマイル」
◎ウィリアム・H・メイシー⇒「ファーゴ」、「カラー・オブ・ハート」、「ジュラシック・パークV」
◎イザイア・ワシントン⇒「トゥルー・クライム」、「ロミオ・マスト・ダイ」、「アウト・オブ・サイト」
◎マイケル・ジェッター⇒「ジュラシック・パークV」、「トゥルー・クライム」、「グリーン・マイル」
★★★★★
プレミア誌⇒2.75
キネマ旬報⇒2.50
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●映画が始まる前に、本作の監督でもある井筒監督による「ゲロッパ」のテーマ曲のビデオクリップならぬシネマクリップが上映されるが、これが実につまらない。何の工夫もなく、シンガーもうまいとは思えないし、何でこんなものを見せられるんだ、という不満から始まった。
本編も、ずいぶんいい加減なつくりで、無理だらけ、傷だらけ。役者も演技の巧拙に大きな差があってちっとも噛み合わず、観ている方が白けてしまう。せっかく、岸部一徳、藤山直美、根岸季衣などの魅力的な出演者も十分生かされていない。カットの繋ぎにも意味不明あるいは不自然、場違いなところが多く、完全なる不完全作品。
●しかし、主演の西田敏行はやっぱりうまい(ついでに言えばチョイ役ででていた岡村隆史もいい味出してた な。)。大いに笑わせ、大いに泣かせてくれるのは、シナリオでも演出でもなく、彼の全身芸だ。自分の芸に対する自信が過剰に見えてなかなか好きになれない役者だけど、やっぱりここは素直にうまいと認めざるを得ない。
●そして監督の豪腕はほめるべきか。いや、呆れるべきか。
何しろ、無茶苦茶なストーリーを無理やり繋げて完結させてしまう。その間に、爆笑とたっぷりの泣きを入れてくれるので、最初に感じた不満が熟成されないまま次から次へとめまぐるしく物語が運ばれ、そのうち、えーい、これはもう一つ彼の担いだ籠に乗るしかないな、という気にさせてしまうのだ。
●ストーリーの軸になっている物まねショーも、総理の秘密も、全体として必然性がなく、工夫がなく、まいったと思わせるにはあまりに低 レベル。同監督の「岸和田少年愚連隊」にも及ぶべくもない。
しかし、面白かったから評価は星3つ。
★★★
プレミア誌⇒2.60
キネマ旬報⇒2.25
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●終始圧倒された。近年久々に唸らされた作品である。たとえて言うなら「タイタニック」級。
●まずは、ドラマとしての構成がうまい。
(後の)秦の始皇帝となる男の許へ1人の剣客が招かれる(無名=ジェット・リー)。
刺客が多いことから宮殿をがらんどうにし、兵でさえ皇帝の前100歩までしか近づくことを許されていないが、無名は強力な刺客3人(長空=ドニー・イェン、残剣=トニー・レオン、飛雪=マギー・チャン、)を倒したというので、宝物を与えられた上に10歩まで近づくことを許される。
そして、皇帝の求めに応じて、どのようにして3人を倒したか、を語り始める。
こうして近年稀にみる、映画の中の映画と言いたい豪華絢爛なる絵巻物は始まるのだ。しか� �、それは単なる手柄話では終わらなかった。皇帝は彼の話の嘘を見破る。果たして真実は何であったか。無名は何ゆえに嘘をついたのか。皇帝は、無名は、いったいどうなる。
●この構成は黒澤明の「羅生門」を思い起こさせる。実にスリリングなストーリー展開だ。
もう一つ、邦画の名作を思い出させる。物語は、屋敷を訪れた男の語りで始まり、回想を除いて終始その屋敷内で展開される小林正樹の「切腹」だ。「英雄」でも物語は、回想以外は、皇帝と無名の対話に終始する。これの設定も緊張感を高めるのに効果的だ。
さらにもう一つ。同じく黒澤明の「蜘蛛の巣城」も思い起こさせる。夥しいまでの矢が城主を追い詰めるシーンだ。しかし、本作ではまるきりレベルが違う。もちろん、これはCGによるのだろうが、 その数の多さは空を真っ黒に覆いつくさんばかりの本数なのだ。いやはや度肝を抜かれる。
余談だが、黒澤が如何に世界の映画界に影響を与えているかが本作で改めて思い知らされる。
矢だけではなく、軍隊にしても、ものすごい数の兵士が描かれるが、これはまるで「ロード・オブ・ザ・リング」に匹敵する。CGと実写の融合がすばらしい映像効果を挙げている。
●ドラマの真実は徐々に明らかになるが、それに従い「真の英雄」とはいかなるものであるかがあぶりだされていく。物語は単純な勧善懲悪ではない。殺そうとする側の、殺されまいとする側の、高潔な思想と生き様が描かれるのだ。監督のチャン・イーモウは「初恋のきた道」、「あの子を探して」、「至福のとき」、「紅いコーリャン」など、人間賛歌を描く俗に言えば文芸佳作のヒットメーカーというイメージが強いが、こんな歴史モノ、コスチュームプレイ、武侠モノ、アクションモノのずべてを網羅したハイレベルの娯楽大作を作ってしまうとは思わなかった。
●さらにすばらしいのは映像だ。各シーン毎に徹底して色彩が管理され、黒、緑、赤、青、白と変化する映像の美しさは、静止画にして1時間でも鑑賞して� �たいほどに見事で、「動画」であることが惜しいくらいである。特に、マギー・チャンと残剣の付き人如月(=チャン・ツィイー)のワイヤーアクションによる戦いは黄葉から紅葉い変化する林の中でのまるで舞踏のような美しさで、これには思わずため息が出る。
いや、色彩だけではない、構図も見事。ワンカットそれ自体が見事な絵巻物なのだ。
これに如上の物語の高潔さと巧みな構成。もうただただ見事というしかあるまい。
●中国人監督で中国人の演技による武侠モノである点で本作と良く似た「グリーン・デスティニー」(監督:アン・リー)はアカデミー賞を受け、本作はノミネートされただけで受賞には至らなかった。ま、各年度毎の相対的な評価であるのだから止むを得ないが、作品の水準は「英雄」の方が格 段に優れていると思う。また、同じ題材の「始皇帝暗殺」(チェン・カイコー)も面白くはあったがやはり本作のレベルとは一段出来が違うと言わざるを得ない。
●終盤に至ってのエピソードに冗長感が残り、その点で惜しまれるが、とにかく、圧倒される。映画とはこれだ!と言わんばかりの迫力と映像美と骨太の人間ドラマにたっぷり酔うことができる。99分間。「至福のとき」である。
★★★★★
プレミア誌⇒3.31
キネマ旬報⇒3.50
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●実在のTVプロデューサーの自伝に基づくドラマらしいが、全体が怪しい。NBCへ見学に来た男が同社の受付案内係になり、やがて管理職要請コースを受けプロデューサーになり、お見合いゲームなどの大衆に迎合した非文化的娯楽一辺倒番組の大量生産でトップクラスのプロデューサーにのし上がっていく。その一方で、CIAの秘密工作員としてアメリカの敵を33人も殺したというのだ。
それが真実か否かは映画を見る限り明かされない。しかし、自伝作者のおとぼけであろうということは十分推測される。
●で、テンポ良く、真偽不明のドラマが展開するのだが、結局のところ、何が面白いのか分からない。
ジョージ・クルーニー(初監督も)、ジュリア・ロバーツ、ドリュー ・バリモア、サム・ロックウェルと、スターを揃えた作品だが、どうにも感情移入できなかった。しかし、多分、作品としてはまとまりがあり、この方面が好きだと言う人は確かにいるだろう。
★★★
プレミア誌⇒2.57
キネマ旬報⇒3.25
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●ハウツーもので売っている女性誌の記者が、「10日間で男を上手にフル方法」を書くことになった。締め切りまでが10日間。さっそくパーティで相手の男を見つけて近づき、交際が始まる。男の方は広告代理店のやり手。新規に大型のクライアントを獲得するために社長と賭けに出る。「10日後のパーティーに恋人を伴うこと」。
で、二人は相容れないそれぞれの思惑達成のために努力する、という物語。
何とも陳腐で人間性を無視したありえない話で、製作者がこういうのをファンタジーとかロマンティックコメディなどと思っているとしたら噴飯モノだ。
結果は、もちろん誤解で悪化した関係を修復してめでたしめでたしに終わる、とミエミエで、実際もそのとおり。こんなにも人間のぬくもりのない映画を作ってはいけない。
まあ、けっこう笑わせてくれて、一定レベルの完成度に達してそれなりの出来ではあるのだけど品性に欠けるので大減点だ。
●ヒロインを演じているケイト・ハドソンの出演作は今回初めて観たが、彼女の母親はゴールディー・ホーンだそうな。あんまり似ていないが似なくて良かった。器量は断然母親を上回る。
★★
プレミア誌⇒2.50
キネマ旬報⇒2.00
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●台湾の17歳の少女二人、少年一人。この怪しげな関係が織り成す一夏を淡々と、そしてユーモラスに描いている。主人公のモンは女友達のリンに頼まれて水泳部の男子チャンとの仲を取り持つべく、交渉したりリンの手紙を渡したりするが、チャンはそんなモンに親しみを感じ、交際を申し込む。そうなれば、モンとリンとの関係が壊れてしまう。モンにとってはリンも大切。いや、ひょっとしてそれ以上なのかも知れない。
●17歳の性というものはこんなにも未完成で不安定で危なっかしくて、しかし、なんと爽やかなものだろう。
男女のほのかな恋愛感情、女同士の恋愛感情を描いているが、さらりとして淡白。抱き合うこともなく、泣き喚くこともなく、不安におののくこともなく、実� ��健康的な優等生の「あこがれ、ときめき」を見せてくれて、これは至福の時間であった。
そうそう、淡白と言ってもキスシーンがある。しかし、このドラマの場合はキスの持つ意味は愛情表現ではない。自分を確かめるためのものなのだが、傍目にもほほえましく、映画のキスシーンとしては、最近観た「沙羅双樹」、大昔の「ロッキー」とともに3大名場面にエントリーしよう。
★★★★★
プレミア誌⇒3.25
キネマ旬報⇒3.25
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誰がコルツを所有している●娯楽作品としては実に良くできている。出来過ぎは同時に作り過ぎでもあって、その辺りが、プレミアの辛い評点につながっているのだと思う。
●アメリカでも最も死刑執行が多いテキサスが舞台で、そこの大学教授にして死刑反対論者のデビッド・ゲイル(ケヴィン・スペーシー)は同僚の女性教授であり同じく死刑反対運動の責任者でもあった女性をレイプした上殺したとして死刑が確定し、数日後の処刑が決まっている。
その彼が、熱血漢の女性ジャーナリスト、ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)を名指しし、高額な報酬を対価に3日間、各2時間ずつのインタビューに応ずるという。
ビッツィーは、最初は彼の有罪を確信していたが、彼の話を聞くうち� �冤罪の可能性を感ずるようになる。そして彼女の周りには怪しげな男が付きまとい始めた。2日目のインタビューが終わって宿に帰ると、そこには何者かが侵入しており一本のビデオテープが置いてあった。それは、全裸の被害者が息絶えるところが映されていた。
その証拠品は誰のどういう意図によるものなのか、本当に冤罪なのか。
ドラマは、緊迫感に満ちて、サスペンスに溢れている。
ただ、中盤に至って、ほとんど真実の推測はついてしまうので、ラストで真相(これも凝っていて単純ではない。)を知っても、やっぱりな、と思う程度なのだが、これはしかし、フェアに作ろうとすれば止むを得なかったろう。また、その真実に比べて前半のデビッドのライフ(生き方)の説明が十分とは言えない。
●監督のアラ� ��・パーカーはこれを死刑制度反対の立場から作ったのだろうか。そういう評も目にしたが、そうだとすればまったくもって失敗だ。少なくともドラマの核心は死刑制度の是非からは大きく外れてしまっている。もっとも、だからつまらないというわけではない。
やはりハリウッド製のこれは死刑制度も商品化してしまった、巧妙に練られた見事なる娯楽大作なのだ。
★★★★
プレミア誌⇒1.80
キネマ旬報⇒なし
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●アン・リー監督がアメリカン・コミックを映画化した。名匠と言われる監督だが、アカデミー賞外国映画賞をとった「グリーン・デスティニー」でさえ僕はそれほどの作品とは思えなかった。相性が悪いのだろうか。
今回の「ハルク」は世間では専門家を含めなかなか評判がいい。彼の手にかかると単なるモンスター映画ではなく、悲しい運命を背負ったの父と子の相克の物語・・・らしいが、やっぱり僕にはそうは見えなかったね。
なぜ、彼は、怒りとともにハルク(巨人)になるのか、については説明が小出しで、分かりにくく、いや、最後まできちんとした説明はなかった(と思う。)。問題の、父親との関係。鍵を握るのは父親の方だが、その動機、狂気が十分描かれていない。ゆえにハル� ��の苦悩に現実感がない。
それはともかくとしても、つまり、監督は、人間ハルクの苦しみをシリアスに描こうとしたのだろうが、それなどうして超人ハルクになっちゃうの?これじゃドラマ部分をどんなにがんばったって漫画だっちゅうの。
テレ隠しかどうか知らないが、超人ハルクに変身すると、これはCGで描かれる。実写の特撮だって可能だったと思うが、CGだ。それも漫画っぽく仕上げてある。リアリティをわざとなくしてある。動きも大昔のコマ撮りアニメのようにギクシャクしている。
シリアスなドラマとまるで漫画の部分のなんともちぐはぐなこと。
失敗作ですよこれは。
そうそう、変身するとき、腕時計はぶっ千切れる。靴もズボンも身に着けている物はすべて裂けてしまう。そりゃそうだ。数メー� ��ルから最大10メートルの巨人に変身するのだから。なのに、不思議なのは、パンツだけは裂けないでちゃんと穿いている。よほど弾力性のある生地でできているらしい。
★★★
プレミア誌⇒3.00
キネマ旬報⇒3.00
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●ジェフリー・ラッシュにジョニー・デップが出ておればまあ、文句は言うまい。最近売り出し中のオーランド・ブルーム(L.O.R)も感じいいし。と、ずいぶん期待してみた割には満足度は低かった。
筋立てはなかなか良く考えてあって、ドンパチだけの映画ではない。スリルもサスペンスもある。しかし、いくつものエピソードというかシーケンスの繋がりにメリハリがなくて、全体に長い(実際も2時間23分だから、長いのだが。)という印象だ。この映画の売り物の一つILMのVFX(Visual Effects)も、L.O.Rやマトリックスを観ている者には今や驚くようなことは何もない。骸骨が踊ろうがちっとも驚きはしないのだから。しかし、本当の技術は観客の目には実写と判別できないところで発揮されているのかもしれないが。
いずれにせよ、楽しめる大作ではあるが、もうちょっと整理できなかったか、と思う。
★★★
プレミア誌⇒2.79
キネマ旬報⇒3.00
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●原題は「My Big Fat Greek Wedding」だ。つまり邦題は「Greek(ギリシャ)」が抜けている。長ったらしいからから止むを得ないかも。しかし、同じ省略するなら「Big Fat」をカットすればよかった。この映画では、確かにヒロインは「Big Fat」であるけど、物語の展開上は、せいぜいそれ「も」原因で婚期を逸しているという程度にしか扱われていないのだから。そして何よりも、この映画は「ギリシャ」と「アメリカ」との文化の衝突を面白おかしく描いているのだから「Greek」をカットしたのでは、最中の餡を抜いたようなものだ。
●ダサい、三十女が、一念発起してパソコンの勉強を詩、仕事も変えてがんばりだしたとたん、いい男がどういう訳か彼女に惚れる。もちろん彼女も夢中。二人の恋はとりあえず何の問題もなく婚約にまで進む。問題は家族だった。彼女はギリシャ人。父親は、地球上のすべての文化はギリシャに発すると考えている国粋主義者で、頑なな伝統主義者。娘がギリシャ人以外の男と結婚するなんて「オー・マイ・ゴッド」である。
ところ� ��、これがうまくいってしまうのは、惚れた男が、自らギリシャ正教に改宗し、ギリシャを何でも受け入れてしまうのだ。
●な、あほな。そんな男に魅力無いって!第一、女の方も彼女のどこに男を夢中にさせるものがあるというの?
●「ベッカムに恋して」もインドとイギリスのカ「ルチャーショック」モノであったが、それを家族が克服し、受け入れていく過程が感動的であったが、今回のこの映画ではあまりにすんなりでつまらない。
ギリシャ系女優ニア・ヴァルダロスが自らの体験を基に脚本を書き主演している。おかしな部分はいくつもあってそれなりに楽しめる映画だけど、底の浅い、おとぎ話に過ぎない。「ギリシャ」が、本編でも欠けているんだな。やっぱり。
★★★
プレミア誌⇒2.64
キネマ旬報⇒2.75
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●1957年のアメリカ東部が舞台。一流企業重役の夫(デニス・クエイド)との間に一児をもつキャシー(ジュリアン・ムーア)は理想的な中流家庭婦人で雑誌の表紙を飾ったりするカリスマ主婦でもあったが、さりとて、でしゃばりというのとは程遠い控えめな良妻賢母であった。しかし、ある日偶然に夫の秘密(同性愛)を目撃して以来、夫婦の間には溝ができて、彼女自身も深く傷つく。そんな折に老庭師に代わって息子の庭師が出入りするようになる。自ら園芸店も経営している学位を持った博識の黒人レイモンド(デニス・ヘイスバート)であった。当時、黒人差別は当然のように行われていた。そんな中で彼女は自然に彼と親しくなっていった。
友人の主催する美術展で偶然再会 した二人は、他の者には分からないミロの抽象画を理解しあうのだった。夫との距離の拡大は彼女をしてその人格の解放をもたらしていき、庭師との、今では問題にさえならないような関係であるが、深まっていった。しかし、それを世間は許さない。二人には厳しい現実が待っていた。しかし、それはより一層彼女を高めていくものと思われた。
●ドラマとしてはいわゆるメロドラマであるが、一点の文句もつけようのない脚本、構成、そして演技人の見事な芸が、メロドラマを格調高い文芸作品に高めている。加えて特筆すべきはその美術と撮影だ。当時の映画を見事に再現している。原色のテクニカラーが映し出す紅葉の見事さ、真っ赤なドレス、ベルベットのスカーフ、緑のコートなどがもう泰西名画を見ているようで、ため� �が出るほどに美しい。
●主役のジュリアン・ムーアのなんとも悲しげで上品な美しさ。
この作品、僕の本年の当面のベストだ。
どうしてこれがアカデミー賞作品賞を取らなかったのだろう。どうして主演女優賞をとらなかったのだろう。「シカゴ」は、良くできているものの、歴史に残るような作品ではない。
●参考:この作品がノミネート☐された賞と受賞■した賞の一覧
アカデミー賞
□ 主演女優賞 ジュリアン・ムーア
□ 脚本賞 トッド・ヘインズ
□ 撮影賞 エドワード・ラックマン
□ 作曲賞 エルマー・バーンスタイン
ヴェネチア国際映画祭
■ 女優賞 ジュリアン・ムーア
■ 金獅子賞・特別功労賞
NY批評家協会賞
■ 作品賞
■ 助演男優賞 デニス・クエイド
■ 助演女優賞 パトリシア・クラークソン
■ 監督賞 トッド・ヘインズ
■ 撮影賞 エド・ラックマン
LA批評家協会賞
■ 女優賞 ジュリアン・ムーア(The Hoursに対しても)
■ 撮影賞 エド・ラックマン
■ 音楽賞 エルマー・バーンスタイン
ゴールデン・グローブ
□ 女優賞(ドラマ) ジュリアン・ムーア
□ 助演男優賞 デニス・クエイド
□ 脚本賞 トッド・ヘインズ
□ 音楽賞 エルマー・バーンスタイン
★★★★★
プレミア誌⇒3.25
キネマ旬報⇒なし
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●イヌイット(エスキモー)が製作したイヌイットだけが出演するイヌイットの足の速い人に関する伝説を映画化したもの。それだけで十分珍しく、ドキュメンタリーとしても見ごたえがあるが、ドラマ自体も、人間のもっとも原始的な感情に発するもので、3時間を超える大作だがちっとも退屈しなかった。もっとも、それだけ長時間観ているのに、なかなか登場人物の顔が判別できず、名前なんぞさっぱり覚えられなかった。
しかし、想像を絶する厳しい環境下で生きていくためには、部族、家族が支えあわなければならないのだが、そこは人の世。嫉妬、裏切り、恋愛、強姦、不倫、殺人と何でもありだ。
つまり、本来人間のドラマはこのような形から発祥したのではないか、と思わせる。< br/>●エンディングでは撮影風景が挿入されるが、それを見て、ああ、これは作り物なんだ、と妙な納得をした。
★★★
プレミア誌⇒4.00
キネマ旬報⇒3.50
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●奈良市内の古びた町並みが舞台。
若い夫婦に双子の男の子がいた。小学生だろう。ある日、近所で遊んでいるうちに忽然と姿を隠す。そして、5年経ち、残された少年は高校生になった。少年とその両親は家族を失った不安と悲しみを包み隠すように生きている。近所には少年の同級生で、互いにほのかな恋心を抱きあっている少女がいる。しかし、その彼女も出生の秘密を抱えていた。
町興しで始まった「バサラ祭」が近づいたある日、昔いなくなった少年の兄の死亡が明らかとなる。少女も、育ての母から実の子ではないことを知らされる。
深い喪失感、もって行きようのない怒り、いらだち、悲しさ。
彼らがそれぞれの思いを抱いてバサラ祭が始まる。そして、新しい生命の誕生が、 すべてを癒していく。
●前半は不満だらけであった。ほとんど手持ちカメラで撮っているから画面に落ち着きがない。同時録音だろうが、余計な雑音が終始耳障りでせりふもよく聴き取れない。ドキュメンタリータッチを狙っているのだろうが、なんだか、素人の自己満足っぽい。監督は河瀬直美。カンヌで最年少監督賞を取った才能ある人だ。もうちょっとましなものを作れないのか、と不満を抱きつつ観ているうちに、やがて彼女の世界に入り込んでいった。そのタッチがあまり気にならなくなる。主役の少年と少女は素人を起用したそうだが、まことに自然な演技で、リアリティがある。
バサラ祭りがすばらしい。ここで初めて劇的興奮を覚える。それまでの不満をすべて帳消しにしてしまうような感動がある。それまでが「 静」。ここでは思い切り「動」。
●最後の出産シーン。誰も何にも言わないけど、なくした長兄の身代わりとして新たな生命が生まれてくるという喜びと感謝で一杯にいなっている。観客もそんな気持ちで応援している。正直なところ、僕はこのシーンには、思わず母親と一緒になって力んでいた。
●母親役を自ら演じた河瀬直美も良かった。樋口可南子も自然でうまい。惜しむらくは父親役がいまいち。リアリティを意図しているのだろうが、途中で芝居が混じってしまう。ちょっと浮いていたなあ。
●不満も残るけど、本当に気持ちが癒されるようであった。人間て、生きるって、チャーミングだな、と思った。
●余談だが、「沙羅双樹」。一般には「さらそうじゅ」と読まれていると思うが、この映画では「しゃらそうじゅ」と読ませている。いずれにせよ「双樹」は、釈尊が涅槃に入った臥床の四方に2本ずつあった娑羅の樹が、涅槃の際には東西・南北の双樹が合してそれぞれ一樹となり、樹色白変した(広辞苑)という伝から来ている。かつて失われた双樹の一樹が、今再びよみがえって双樹となった、ってことをこのタイトルは意味しているのだろうか。少なくとも「盛者必衰の理をあらわ」しているとは思えない。
★★★★
プレミア誌⇒2.75
キネマ旬報⇒なし
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