アート ニュースの中のアートな断片
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和の「感性」が世界進出、パリで日本プロダクトデザイン展
【12月12日 AFP】日本の最先端デザインの「感性」を世界に伝えるプロダクトデザイン展示会が、12日から仏パリ( Paris)の装飾美術館(Decorative Arts Museum)で開催される。
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(c)AFP/Claire Rosemberg
日本人の誇るべき特質というべきか、なんというか、独特の精神文化として、謙譲と慎ましさが挙げられるのではないかと思います。どんな物事も、裏と表があるように、この精神が美徳になる場合と・・・過剰な卑下につながる場合もあるんじゃないかと感じています。
日本のデザインは大昔っから素晴らしい!ずっと素晴らしいんだから、胸はってどーんと、外国の方々どうぞご覧になって♪という気持ちで良いと思えます。このニュースで紹介されているような、こういう場がどんどん増えるといいですよね。
屏風絵だって(スクリーンと英語では言うそうです)、陶磁器だって、蒔絵だって(ヨーロッパでは乾燥するから保存が大変ですが)、織物だってなんだって、とにかく素敵なものが沢山あるんですよ� ��!よ~!
外国の人が日本のことを分かるだろうか、どうだろうか、認められないんじゃないだろうか、ヨーロッパにはもっとセンスいいものがあるんじゃないだろうか、明治以降、日本人はずっと控えめな心でいました。でも、そろそろ、自信をもって過剰な謙譲は控えるのも対外的に好ましく映るのではないでしょうか?
日本の芸術というのは、いくつか特色があるのですが
・遊び心
・装飾性
・平面性
の3つがよく語られます。(日本美術の入門書なんかをご覧になったら、こういう風に説明されている事が多いと思います)
どうでしょう?まさに、デザインですよね。
ニュースでは、日本のプロダクトはコストなどで評価されているとなっていますが、本来の日本の美意識は、どんな平面でも飾るということを楽しんできた豊かなものなんですよね。
日本の美術の平面性については、要因はよく分からないとされてます。装飾性については、これは『飾る』という単語が元々は『かざす』という、頭にカンザシを挿すところから来ているようで、民俗学者などの解釈によると、神様を喜ばせることにつながるような精神の伝統だろうというようなことも言われていますね。
だから生まれる遊び心なのかもしれません。
気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、今、世界で評価されている日本のアニメ・漫画ですが、実は日本の芸術の3つの特徴を全部備えています。なるほど、日本の芸術の大きな潮流の中にあるもので、自然に世界に流れて出ていって受け入れられたものなんですね。
考えてみたら、浮世絵だって宣伝したわけでもなく、包み紙のような新聞紙のような扱いでヨーロッパに流出して現地で自然と愛されるようになり、いわば逆輸入で日本でも評価されるようになったわけです(モチロン、それだけじゃないですが)。
歴史は繰り返す。
いずれにせよ、日本の芸術的感性というのは相当な洗練を見せているのだと思います。
まだまだ大丈夫!
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登録日:2008年 12月 23日 19:57:47
ピカソと巨匠画家らの関連ひもとく企画展、グランパレで開幕
【10月8日 AFP】生涯をかけて偉大な先達の芸術作品をたたえ、再現し、そして破壊しようとし続けた、画家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)――。
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(c)AFP/Emma Charlton
現実っぽい、写実っぽい、見たまんま、まるで写真みたい。
そんな絵は『上手ねぇ』という感想を呼ぶと思います。
子供の頃、そういう絵が描ける子が、絵がうまい子、と呼ばれました。
でも、写真みたいだからって、全部の写真が綺麗に感じるわけじゃないように
必ずしも『綺麗ねぇ』とはならないかも!?それから
あぁ、『いいなぁ、ぐっと来るなぁ』となるとも限らないかも・・・
■絵画って?の漠然とした一般的なイメージ
なんのことよ?!という出だしになってしまいましたが
美術作品の話がしたいんです。
中でも絵画に絞って。
絵画と聞くと、"自然をより上手に模倣して
ちょこちょこっと手を加えて、それなりにリアルだけど
目ざわりなリアルは除外して、目に心地良いものを描いて
心地良い二次元を作り出すものじゃないかな?"
という漠然とした一般理解があると思います。
そして、『何もそれ以上に奇をてらったことをするなんて、金持ちの道楽じゃなかろうか・・』
という印象を受けている人も多いような気がします。
金持ちって普通のものに飽きて、ヘンテコなもの欲しがったりするよな
あぁいう感じかな?裸の王様ってやつじゃないの?!まで思う人だって
いたって責められない、それくらい、なんでもアリで
主観オンリーの世界に見える、それが絵画?!
■絵画への苦手意識のはじまり
そういう『目に心地良い』二次元を創作することが、絵画の目的だとしたら
やたらと写実(スーパーリアル)であるとか、ましてピカソのような、まぁ普通に考えたらメチャメチャに見える絵は
絵画の本来の目的から逸脱して、何か別の方面に走ってるんじゃないかな・・・と思えるんじゃないかな・・・
だけどよく分からないな・・・でもそれ言ったら、誰かに怒られそうだな・・・うん、怒る人おおそう・・・
でも、だからって『どうして?』って聞くと『口答えしないのっ!!』ってまた怒られそうだな・・・
私は、これが普通の考え方だと思うし、心地良い絵画も大好きな身としては
そう思うことも不自然じゃないと思っています。
そう思う人にも納得のいく説明というのが
ずいぶんと疎かにされたまま、ずんずんと『ピカソ方面の絵画』は突っ走って
私を含めた一般鑑賞者を蚊帳の外に放置しているようにも思えます。
この混乱は、当然なんです。
考えてもみたら、いろんな時代の、いろんな価値のもとに、いろんな社会的な制約等がある中で生み出された
『絵画』と乱暴に一つ括りにされた諸々の『二次元創作』が、美術館という箱の中にエイっと放り込まれて
現代の絵画制作者の作品も何もかも同じところにあったら、意図も意味も目的も、バラバラになるに決まってます!
最初のデートではいけないこと
その上で、感性で楽しむ、という感性の優れた人はいいんですが
感性方面に自信のない(感性があるフリを頑張った果ての私のこと)は、寂しく美術館を後にして
『やっぱり、ここは感性に自信のある人が心の中にいろいろ描きながら楽しむ場所かもしれない・・・』
とヤケになりつつ、TVでお笑い番組を手を叩いて笑いながら見たりして『こっちの方が、ある意味芸術だし
その、芸は芸だし・・・』なんてお笑いの現代における有益さを、ボソボソとつぶやきたくなるわけでです。
■ピカソのすごさは何ですか?という謎
ピカソのすごさ、そういうものを考えるとしたら、まず、ピカソがどういう時代に生まれてきて
どんな芸術がスゴイといわれたり、飽きられたり、新しく生まれてきたりした時代なのか?
ということも知らないと、分からないものだと思います。
もしかしたら、ピカソと同じ時代で、同じ空気を吸って、大体それなりの素養でもあったら
『感性』だけで理解できたかもしれません。
だけど、一緒に作品を作っていたジョルジュ・ブラックですら『やりすぎちゃうのん?!』とピカソの作品にびっくりしたほど。
だけど、ピカソ、すごいらしい・・・みんなスゴイって言う・・・どうしよう、どうしよう・・・わけわからない・・・
私は、こういう疑問・不思議に思う気持ち、捨てちゃいけないと思います。
こういう素朴な疑問、丁寧に見直していくって、とても大事だと思います。
1.)ピカソという人は影響力がすごい、とか、2)若い頃は写実的な技術の高い絵も描いていたから、とか
3)なんかコンセプトが新しいから、とか、4)ものスゴイ膨大な量の作品を生み出したから、とか
5)さまざまなメディア(彫刻だとか、版画だとか、いろんな手法で)の作品を作ったから、とか
6)さまざまな新しいスタイルを生み出したから、とか、スゴイと言われる理由は沢山あります。
これでも十分だと思う人もいるだろうけど、私はそれでもまだ、よく分からないなぁ・・・
例えば、2の理由。わりといろんな人から聞くけど・・・
小さい頃に絵が上手で、大人になって変な絵を描くのがスゴイって理由、なんだか納得できないもの。
だったら自分だって!って思う人も結構いるだろうし、そんなの美大とか行ったら、そういう『上手』な人の宝庫です。
じゃ、ピカソ、何がスゴイんだよーー!!って。
■納得できるか、できないか・・・素通りするか・・・
でもね、20世紀で最も影響力がある芸術家の1人、と言われるピカソのスゴイということを納得するのに、そんな簡単なはずないじゃんね・・・と気付くと、簡単に納得できない事実に納得しませんか?!私はそう思ったんです。そんなスゴイこと、私がすぐに分かるんだったら、たぶん、おそらく、きっと、そんなスゴくないや・・・
これ、アインシュタインは相対性理論ですごい、って言われてるけど、一般相対性理論とか理解できる人
多分、そんなにいないんだけど、だけど、すごいっていうの、それに似てる図式かもしれません。奇しくも、20世紀に影響を与えたすごい数人の1人だと思います。
アインシュタインの場合は、ピカソよりは割と当たり前に納得しちゃうことが、多いと思います。これ、説得力あるお話で説明されてるからだと思うんです。科学のこういうのが、とか、ああいうのが、とか、説得力がわりとある。仕組みわからないけど、それならスゴそうな気がする、みたいな。この感覚大事だとおもいます、だって、イイのは分かったけど買うか、買わないか、みたいな分かれ目みたいで。
ピカソについても、そういう風に『なるほどー』って、分かってないけど、分かったことにするんじゃなくて、アインシュタインみたいに『それじゃぁ、� �当にすごそうだなぁ』って分かる道筋、あってもいいと思うんです。
美術については、そういう実もふたもないことしたら、価値が下がるんじゃないか、というような雰囲気、というか
空気があるような気もしますが、それは・・・そうかもしれないところもあると思いますが
(美人な女性が美しさを保つために努力している姿を、必ずしも見るのが良いとは限らないように)
・・・価値を下げないで、なおかつ簡潔に分かりやすく、親しみやすく且つ敬意を保てる
そういう説明があってしかるべきだと思うんです。
そこで、私はあえて、私が思った一つの考え方。
それで『へぇー』って誰もが納得するかどうか分からないけど・・・
だけど、私にはかなり納得できた道筋というのがあります。
少しだけここでお話すると・・・絵画の一つの目的が『リアリティの追求』にあったとしたら(例:肖像画とか)そのリアリティとは何か?というところに一石を投じるのも絵画の仕事かもしれません。多くの人が、リアリティのある絵画(しかも心地よい)が納得いくものです。例えば、ピカソも真似をしたベラスケス。スゴイ、納得!って気持ちです。さすがバロック時代を代表するスペインの宮廷画家!あんまり疑問湧きません。
ところが、20世紀のリアリティ、というのは、前の世紀とも、その前の世紀とも違ったものでしょう。地域によっても、リアリティというのは、リアルに感じるという感覚、それはずいぶん変化します。
そういったところを掘り� �げたとき・・・ピカソのスゴさみたいなのは、単に技術とかそういう次元とは別のところで『へぇー!』を含んだものが出てくるような気がするんです。
さて、この続きを近々書けるといいな・・・って、乞うご期待!
わりと、沢山の説明が必要になり、しかも、補足に次ぐ補足!みたいなものになるかも?!割と、口頭では話したりしてるんですが、文字にしないと、文字にしないと!
でも、トライです、トライ!!
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登録日:2008年 10月 31日 02:44:15
これもアート? 仏でヨーロッパ現代美術フェア開催
【11月26日 AFP】仏東部ストラスブール(Strasbourg)では26日まで、ヨーロッパ現代美術フェア「St-art」が開かれている。作品の半数が、ほかのヨーロッパ諸国から出品された。(c)AFP
アートなの?という疑問が湧いてしまうのは
きっと、アートってすごい技術を駆使した、多少高尚なものだろうという
漠然とした思いがあるから・・・かもしれないですね。
これは、自由って何?とか、人間とは?という問いかけと似ていて
本来アートというのは、時代や地域や年齢だとかによって
まったく違う定義を持っているものです。
人形劇は何ですか
民芸品はアートなのか?などという問いにも、柳宗悦のような人が「美しい!」と評価する運動をすれば、アートの枠の中で語られ始めます。それまで単なる日用品だとか道具だと思われていたものが、です。
同様に、縄文時代の土器などを「芸術だ!」と岡本太郎氏のような、現代で芸術家として功績を残している人が評価する運動をすれば、やはり美術の教科書に載るようになります。
これは、必ずしも権威ある人が認めたらアートだ、という事でもないんです。
誰が見ても美しいなぁ、すごいなぁ、感動するなぁ、と誰が評価しなくても、皆がいつの間にか認めてしまうようなアートもあるでしょう。日本だったら、京都や奈良のお寺や、そこに収められ� ��いる彫刻などは、大抵の人にとって宗教的に大事だと思うのに加えて「芸術だなぁ」と感じるでしょう。
そして、また別のところでは、大金持ちの人が芸術家の人に発注して、自分のためのオリジナルなアートを作ってもらうこともあるでしょう。そういうのもアートと呼ばれます。
アートって何だろう?というとき、現代においては、特に一つの決まった答えはないといっていいかもしれません。
アートはメディアかもしれません、アートはコミュニケーション・ツールかもしれません、アートは純粋に美を追求するものかもしれません、アートは人の心に訴えるためにあるのかもしれません、いろんな枠があって、もう一つの括りにするのは、ちょっと難しいかもしれませんね!かえって、混乱してしまうかも。
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登録日:2007年 11月 29日 00:01:51
「BMWアートカー・コレクション」、インド・ムンバイで開催中
【9月8日 AFP】インドのムンバイ(Mumbai)では、ドイツの高級車メーカーBMWによる「BMWアートカー・コレクション(BMW Art Car Collection)」が開催されている。
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(c)AFP
「世界で最もフェラーリを見かける場所ってどこか知ってる?」
某所にて、スノッブな会話。「LAのロデオ・ドライブと・・・青山の骨董通りですって。」
まぁ、そうですの、おほほ。
車って絶対、100年後の美術の教科書には20世紀を代表するアートって言われる気がする。ものすごい数の人が「ただ走ればいい」と道具として切り捨てることが出来ない、何かそれ以上の感情を車に抱いてるんだもの。そういう魅力があるってことだもの。金も動いてるし。
以前も触れたかもしれませんが、日本人にとっての「アート」って・・・漠然とだけど「腕が良さが出てる」ってことだと思いませんか?車だとしたら、なんかスゴイ職人芸がどっかに施されてる、みたいな。
■正直な胸のうち
なん� ��上手だし。みたいな、マネできないし、みたいな何か「ウデ」があるように見えるものが、なんとなく上質なアートだなぁと本音では感じる。んで、ワケ分からない前衛っぽいのは心の中では「ホンマにスゴイんやろか?自分、騙されてるんとちゃうやろか?」と感じたり、感じなかったり・・・
コレは自然なリアクションだと思うんですよ。
やっぱり、絵だったら、デッサン力があるとか、より写実的な絵が描けるとか、そういうのじゃないと、ぶっちゃけ何がスゴイんだよ?とすばらしい、と認めるポイントが見つからない。
コレって、やっぱり日本が技術立国なのと関係あるのかも?!
■西洋vsジャパン・・・価値感の相違
ニッポン人代表、ワタシがまだ10代で、アメリカでどんな質問でも恥ずかしが らずに投げられた頃。ヴィジュアル・アーツ学の教授に質問をしました。
「先生、もしかして、日本人と欧米人は、美術を鑑賞する際にスゲェって思う観点が違うのでしょうか?」
グッド・クエスチョン。「そう、あなた達日本人はskillとかcraftsmanshipなど、技術の高さを一番に評価する。そして我々はコンセプトの新しさnoveltyが一番大事に感じる」とか、とか。
おおっ!それなら、納得。それなら、欧米人がもてはやすものが、私達にピンとこなくても納得。
しかも、西洋人、手先器用な人すくないし。日本人が異常に手先器用なんだよ。だから目が肥えてる、一般人でも、誰でも。
■四畳半のアート
私達日本人の作り上げてきた美術の歴史・・・それは、職人芸の歴史でもあります。いわゆる壮大な芸術というよりは(例外はあるよ!モチロン!)きめ細かな細工を施したり、繊細な� ��現の蒔絵だとか、絵巻物だったりとか。
そもそも、西洋の美術とは並行で語ること自体が不可能なんです。西洋美術の用語を使ったり、そういう方法論で語ろうとしたら、日本美術は「装飾性が高いが、深い思想などを表現することは第一義ではない」とかで括ってしまわざるをえない。そんな簡単に片付けられちゃたまらないって、ことで、もちろん最近ではもっと品のいいアプローチが試みられてます。
私達はちゃんと独自の文化を生み出してきたのだから、せっかっくだから、欧米の人たちに、「彼らなりの鑑賞法」もモチロン尊重しつつ「私達にとっての私たちの日本美術」を「彼らの文脈の言葉や表現」を使って説明できたら、一粒で二度美味しくなるでしょうね。
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登録日:2007年 09月 24日 02:51:37
韓国で1300年前の巨大仏像がほぼ無傷で発掘
【9月11日 AFP】(一部修正)韓国で1300年前に建造された巨大な仏像が、ほとんど無傷で発掘されたことが分かった。
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(c)AFP
その前に・・小さく宣伝。
ワタクシごとではありますが、私、本が出ました!(20日だけどね)。
↓↓↓
掘れ掘れ読本
ユルいタイトルです。
2ページ見開き完結♪見所は・・・本の半分を占めるイラスト、なかでも世界のユルい土偶コレクションは我ながら見るたびに笑えます。
一応、20日に同時に買おう♪というプチ祭りやってるので、よろしかったらふるってご参加ください。
■韓国人仏教美術学者、再び登場
たびたび登場する韓国人の友人(オンナノコ)の仏教美術史学者。バングラディッシュでの一年のフィールド・ワークを終え、アメリカで踏ん張っている彼女。
彼女がたびたび私に尋ねるのが「どうして、日本の仏教彫刻は木造なんだろう?」
私が知るわけもありません。なんてったって、仏像ったら木だろう、たまに金属(奈良の大仏とか)くらいのイメージしかありませんでした。でも彼女が言うには「でもね、韓国では仏像といったら"石"なのよ。」
どのように私はディズニーチャンネルの歌手になるには
私はまだ、韓国の仏像が石仏が中心なのかどうか、自分では確かめていません。が、極東仏教美術でイーファ大で修士を取得、日本の名古屋大学にも留学していた、その上、アメリカの最も権威あるインド仏教美術学者について博士号取得予定者になった彼女が仏教美術について言うことは、基本的に鵜呑みにします。
■この問いかけの意味は?
「え?韓国は石仏なの?日本にもたまにあるけどね羅漢とか。」
「ねぇ、日本にも石くらいあるでしょう・・・?どうして石仏が主流にならなかったのかなぁ?」
このやり取り、一体何が重要なのかと思うかもしれません。
私たちは一応、美術史で方法論なんかも(私は� �ロ覚えですが)知っているので、ハっとなるのです。
まとめて箇条書きにしましょう。
1.仏教美術は鮮半島から日本にやってきた。(5世紀頃?)
2.仏教美術を作れる職人も朝鮮半島から日本にやってきた。
3.朝鮮半島では仏教美術は石仏が基本。
■「形は素材に依存する」
ここで・・・重要な事柄が。
「形は素材に依存する」という美術の歴史の基本事項があるんです。
古い時代・・・堅い石を算出する地域では、四角ばったデザインになりがち。(例:エジプト、花崗岩や玄武岩など)柔らかい石を産出する地域では、ゆるいデザインが可能。(例:メソポタミアの石灰岩、ギリシャの大理石)
ようは、素材によって、作りやすいものを作るのが、人間の自然の行動だろう、というような常識的なところです。
だから・・・石で仏像を作る技術と、木で仏像を作る技術って全然違うん筈なんです。
道具も違うだろうし、力の加減も違うだろうし。石なら簡単なデザインが、木では難しいこともあるだろうし。逆に、木であれば簡単なデザインが、石で再現しようとすると至難の業だったり。(*注1)
回りくどいことになりましたが
「石で作ってのと同じようなもんを、木で作るのはそれなりに工夫したり、いろいろあったはず」
つまり、彼女の疑問は「だって日本にも石があるんだから、同じような仏像を作りたかったら、石で同じようなものを作るほうがはるかに簡単なのに、なぜワザワザ木造にシフトしたのか?」
ということなんですね。
■私の答え?
うーん。まだ分からないけど、「日本のほうが木材が豊富だからじゃない?」と適当に答えたら「朝鮮半島にも木は生えている」だった。「日本文化ってフェミニンだからじゃない?」といえば「鎌倉彫刻はフェミニンか?」たしかに・・・。
メンタリティのモンダイとか、美意識のモンダイとか、絡んでくると思うんですけどね。
これととても繋がってくるような気がするテーマ� ��・・・次に機会があったら「その地域の自然環境・風土が、その地域の美術の造形に影響を与えるか?」というモンダイについて書きたいです。これはですね、イタリアの各地域の美術の比較でとても面白いことが見てくるんです。そういうのも知ると、アートが面白くなるかもしれないですね。
(注:1 これは、ギリシャのブロンズ彫刻のオリジナルを、ローマ時代に大理石で模倣したものが、多く重さを支えるためにヘンな接木を作ったりしているのでもわかります。
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登録日:2007年 09月 15日 03:55:59
【動画】捜査担当者が語る「発見」 ピカソ作品盗難
【8月9日 AFP】パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の作品をピカソの孫娘の自宅から盗み出し、7日に逮捕された3人組は、作品を市場の価格よりはるかに低い額で売却しようとしていたことがわかった。仏警察当局が8日に発表した。捜査チームは7日朝、パリの高級住宅地16区で、3人組が買い手と取引を進めるべく準備しているところを逮捕したという。買い手もまた窃盗犯であるという。(c)AFP
有名すぎる作品を狙うのは、絶対に素人の犯行といわれます。そして、大抵の場合、ちゃんと「ルート」をもっている人たちに狙われて、怖い目に遭うというハナシ。
ル・モンド紙のアート関連のジャーナリストさんたちが、この手の事件の裏ハナシをまとめている本なんかもあるんですよ。
とゆことで、今回は美術史って何?っていうのを少し。
■美術史のおシゴト
美術史って、キレイで美しいものを扱うジャンルと思われてしまうかもしれないけど、それは「美」って単語にひきずられてるかも。むしろ、歴史学が文献などの文字資料を中心に歴史を解釈するのに対して、美術史は物質文化全体を扱って歴史・社会を解釈する、と思ったほうが正確。
もちろん、扱う時代によっても、やっているこ� ��はかなり違ったりするんですけどね。
■事件にたとえると・・・
私は歴史に関するガクモンを、事件の推理だと考えたら面白いと思うんです。
(9月に出る予定の拙著にもこのことを詳しく書いてます☆)
そう、歴史って、過去に対する、解釈・推理なんです。客観的に動かない事実、というわけではないんですね。
たとえば、考古学とか民俗学なんかのフィールドワーク、現場作業はいわば事件の「現場検証」。歴史学、文献学なんかの文字資料に頼る研究は「目撃者証言」を検証するようなもの。
そして・・・現場検証で集めた物的証拠を鑑識に回すのが「科学分析」だったり。
■美術史の職分は?
美術史はこの鑑識の一部みたいなもんです。
たとえば、犯人の遺留品のTシャツがあったとする。どういうデザインで、どういう層に人気のブランドで、とか、そういう調査をしたりするのが美術史家の役目。
出てきた土器のデザインだとか、� �オリティとか、同時代のほかの土器との比較をしたりとか。それで分かることと、証言とを照らし合わせたりして、総合的に解釈をしていくんです。
また、美術史がやっていることは、現代でいうマーケティングリサーチなんかともかぶる、といわれています。
ある時代の、ある社会の人が「何をかっこいいと思っていたか」とか「何をキレイだと思っていたか」とか、について考える。
アートっていうのは、大体、生存に直接関係ない物質文化、ってことになりがち(これに限定されるわけではありません)なので、だからこそ、特定の文化の特質というか特有の性格が浮き彫りになったりするんです。
あまりいい例えじゃないですけど・・・犯人の部屋で特定のアニメのDVDとフィギュアが沢山出てきたら、彼� �価値感だとか美意識だとか志向とかが見えてくるようなものです。ざっくばらんに言って、美術史はそういうことを勉強するガクモンなんです。
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登録日:2007年 08月 14日 17:00:31
ロンドンで「ウォーホルVSバンクシー」展開催
【ロンドン 10日 AFP】ロンドン市内のポロック・ファインアート(Pollock Fine Art)で8月10日から9月1日まで企画展「ウォーホルVSバンクシー(Warhol vs Banksy)」が開かれる。会場内には、米ポップアーティストのアンディー・ウォーホル(Andy Warhol)作のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)の肖像や、英グラフィティ・アーティストのバンクシー作のケイト・モス(Kate Moss)の肖像など40点あまりが展示されている。(c)AFP
なんか見たことある・・・けどちょっと違う。
それが、このパロディ作品。
■有名税?
モノマネ芸人に真似をされるのって、有名な人だけ。
じゃなきゃ、何を真似しているのか分からないから。
同じように、似顔絵を描かれたりするのも、顔が認識されている人だけ。
ネタにされるのも、有名税みたいなもん。
この作品は、アンディ・ウォーホルの有名なマリリン・モンローを描いたシルクスクリーンを元ネタにして、現代のマリリン・・とすると少しスレッカラシ過ぎるが強烈なファッションアイコンであるケイト・モスを使ってパロっているの。
ケイトにはホクロがなかったと思うから、それは付け足したのかな。
■アンディ・ウォーホルといえば・・・
アンディ・ウォーホルの場合、作品がいかに世間に認知されているかっていうことが
こういう展覧会で分かりますね。
元ネタを皆が知っているから「パロってる」と分かるわけです。
じゃぁ、ナニを見て、人はアンディ・ウォーホルっぽい、とするのでしょう。
だって、彼の作品なんて、工房製みたいなもんで、彼が直接手で触れて作っているというわけでもなく。
ただ、ナニかしら皆が「ウォーホルだ」と認識するポイントがあるわけです。
1.顔のアップに変な色
有名人の顔のどアップに、本来の人間の色じゃない色を平面的に載せる、これでもうウォーホルっぽい。
そう、白黒写真に単純に色をつけたみたいな、しかも間違えて。
ほら、あなたにも簡単に作れそう。
2.描かれているのは誰でも知っている人・モノ
よく知っているはずの人の顔に、ヘンな色が付いてるから「アレ?」と思って気を引くわけです。
要するに、そういう感じで認識してるんですね。
他にも作品の特徴を、最大公約数的に、こうやって見ていくと
特定の作家・画家の画風とか作風がつかめてきて、見分けがつくようになってきます。
実は、こういう作業をさらに精度を上げていくことが「鑑定」という作業なんですね。
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登録日:2007年 08月 14日 16:18:12
キューピッドは「わいせつ」? 表紙に使用した書籍が出版禁止に
【7月20日 AFP】香港の検閲当局が、ローマ神話に登場するキューピッド(Cupid)の絵柄が印刷された書籍の表紙を「わいせつ」と判断し、出版禁止を決定。だが再検討の結果、決定を取り消した。同書は国内のブックフェアに出展されていた。(c)AFP/Samantha Sin
この絵は香港の当局にとっては、ワイセツに映ったんですね。
味わい深いことです。
さて、21世紀の日本に生きる私には、これくらいだと
どうも、最近の少女マンガの方がよっぽど過激に思えるんですが。
■さてこの絵は?
この絵はですね、18世紀の終わり頃にフランソワ・ジェラールが描いたものです。
タイトルは「プシュケとアモール」。(確かルーブル美術館)
アモールというのは、キューピッドのこと。
プシュケというのは、彼の恋人の名前です。
いわゆるギリシャ・ローマ神話の登場人物。
アモールというのは、愛の神様で、ギリシャでは「エロス」という名前です。
モチロン、意味は「愛」。
プシュケというのは「魂」という意味です。
カタカナだと分かりにくいんですが、これpsycheと書いて
サイコpsychoとかサイコロジーpsychologyとか、そういう単語の語源となった単語。
二人とも愛と魂の擬人化というか、擬神化?!された存在。
アモールは普段は人々を恋に陥れるために、金の矢と鉛の矢を駆使してるんですが
ある日、自分の手を傷つけてしまって、プシュケに恋してしまう。
■二人の間には・・・
プシュケとアモールは、お母さんのヴィーナスからものスゴイ反対を受けるのですが
しかもプシュケは壮絶なイジメにも遭うのですが、恋を成就させます。
二人の間に出来た娘は、ヘドネと言い「喜び」という意味です。
愛と魂が出会って、喜びが生まれるという、なんともおおらかなテーマ。
■18世紀の終わり頃
ナポレオンの絵なんか見てても、ズイブンとムカシ風というか
古典的な雰囲気でしょう?
そういうのが流行った時代なんです。
古典的な絵柄が流行るときは、モチーフ(題材)も古臭いものが選ばれます。
この絵が描かれた頃は、このようなギリシャ・ローマ神話がよく題材に使われていたんです。
18世紀末の人にとって、これがワイセツに映ったかどうか・・・
どうも私にはわからないのですが
もっと直截な、もっとキッパリといかがわしい風俗画も多くありました。
この程度なら、当時の人も、いちいち興奮するほどでもなかったでしょう。
だからこそ、香港って、もっとスゴそうなのに?!
一体どういう意図なんだろう、と逆にそれが面白かったりします。
■愛と肉欲
エロスという単語は、中世以降、アガペという単語と対比させて
精神的な愛に対する肉体的な愛をあらわす単語のように使われてきました。
でも、本来は生を謳歌するためのあらゆる欲にまつわる喜びを表すものだったんですね。
そういう意味でも・・・
偶然とはいえ、面白いかな・・・・と思ったのでした。
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登録日:2007年 07月 27日 01:12:30
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